空色の草原と小さな卵-2-

ラプターナの街の図書館からの家路につくトットとセレタの会話から。

「魚の形の利用者鍵にしたの? セレタ」
「ええ。南の海の街で生まれ育ったから、魚とか貝とか珊瑚とか、大好きなの」
 ラプターナの街の石畳の街路。レンガ造りの建物が立ち並ぶ中、トットとセレタは、図書館をあとにして、家路をたどっていた。
 トットはセレタに、さきほど登録したばかりの利用者鍵を、見せてもらう。カクレクマノミの魚をモチーフにした利用者鍵で、カクレクマノミの片隅には珊瑚がかたどられ、そこに南の海を映した、碧色の精霊石があしらわれているのだった。
「その利用者鍵は、きっとソーラスさんの精霊石店で作られたものね。わたしの働いているバロルおじさんの精霊石店とは、ライバルであり、良き仕事仲間なのよ。南の海をイメージした利用者鍵を作っちゃうなんて、着想が豊かで素晴らしいわ。わたしも頑張らなきゃ」
 トットは、遠い地に想いを馳せて作られた、素敵な利用者鍵を前にして、刺激を受けずにはおられないのだった。
「トットは精霊石を扱うお店で働いているのね。利用者鍵も作っているのね。それってとても素敵なことね」
 セレタは驚いて、碧色の目をくるくると見開くのだった。
 トットはセレタに、カクレクマノミの利用者鍵を返しながら、うなずくのだった。
「この碧色の精霊石は本翡翠(ジェダイト)ね。水にまつわる精霊魔法とも相性がいいわ。わたしの利用者鍵は紅水晶(ローズクォーツ)なのよ。炎に――」
「炎にまつわる精霊魔法と相性がいいのよね、紅水晶は、たしか」
「知っていたの? セレタ」
「ええ」
 セレタはトットに、利用者鍵を貸して、と言って、鳥がモチーフの、桜色の精霊石があしらわれた、トットの利用者鍵を受け取るのだった。
「紅水晶は、精霊たちとの対話にも用いられるわ――見てて」
 セレタがトットの利用者鍵の桜色の精霊石――紅水晶に手を当てると、紅水晶は燐光を散らしながら、呼吸をするように瞬くのだった。瞬きは、やがて周囲の宙空にも伝わって、しばらく経つと、トットとセレタは、あちらで瞬き、こちらで瞬く、燐光の瞬きに、すっかり包まれてしまうのだった。
 トットは辺りを見渡して、目を見開くと、呟くのだった。
「――この瞬きが、精霊たち?」
 トットはセレタに尋ねるのだった。
「ええ」
 セレタが紅水晶から手を離すと、瞬きは静かにおさまっていった。
「この世界には精霊たちが満ちているわ。精霊魔法がもっと上達すれば、精霊たちの姿形さえも見ることができるそうよ」
 セレタは、トットに利用者鍵を返しながら、そう言ってほほえむのだった。
「セレタは精霊魔法にとても詳しいのね」
 トットは目をきらきらさせてセレタに言うのだった。
「ふふ、精霊魔法、得意なの」
 そこでセレタは、ふと思いついたように言うのだった。
「そうだ。あなたの耳のイヤリングも、貸してもらってもいいかしら」
「えっ――いいよ」
 トットはどんな用事だろうと思いながら、セレタにイヤリングを渡すのだった。イヤリングは紅く煌きながら、淡い燐光を散らしているのだった。
 セレタはイヤリングを受け取ると、それをじっと見つめて言った。
「この精霊石は、紅玉(ルビー)?」
「ううん。紅玉に似ているけれど、花紅玉(フレアータ)って言うんだって。バロルおじさんが言っていたわ」
「花紅玉――本で読んだことがあるわ。たしか竜使いの一族が暮らす土地、空色の草原と呼ばれる土地で、産出されるのよね」
 セレタはそう言うと、瞳を輝かして、トットにいたずらっぽく語り掛けるのだった。
「ねえ、トット。いまから、その竜使いたちの土地――空色の草原ブルベリア・ブルベルンへ、行ってみない?」
 トットは突然の申し出に驚愕した。
「え、行くって、どうやって? それに、いまから!?」
「ちょっとした冒険よ」
 トットの返事を待たず、セレタは花紅玉に触れるのだった。すると、花紅玉の放つ燐光がひときわ大きく煌いて二人を包み込んだ。
 煌きがおさまった時、二人の姿は、ラプターナの街の街路から消えていたのだった。

***

 トットは、花紅玉の放った煌きに、反射的に閉じていた目を、開いた。
 辺りを見渡すと、そこは空色をした草の広がる草原で、穏やかな風が草の海を行き、頭上にも広がる空色――空には、何者か、巨大な影が飛び交っていた。巨大な影――あれはどこかで見覚えのあるような、けれど――トットがそんなことを考えていると、隣から声がした。
「空色の草原ブルベリア・ブルベルン――本で読んだ通りだわ。空を飛んでいるあの幻獣は竜(ドラゴン)よ、トット」
 声の主、セレタはそう言って、トットにイヤリングを返すのだった。
 トットはまだ、事態についていけていなかった。
「竜……? ねえ、セレタ、ここは? ラプターナの街はどこ?」
「落ち着いて、トット。ここは、空色の草原、竜使いたちの土地、ブルベリア・ブルベルンよ。あたしたちは、あたしの精霊魔法によって、ここまで移動してきたの」
「移動の精霊魔法……?」
「そうよ。精霊石は、それが産出された、由来の土地と深く結びついているの。精霊魔法を使うことで、精霊石の由来の土地へと、移動することができるのよ」
 トットはようやく事態が飲み込めてきた。セレタが精霊魔法で、花紅玉の由来の土地――ブルベリア・ブルベルンへと、自分たちを連れてきたのだ。
「あれが竜なのね。本物の竜を見たのは初めてだわ」
 セレタはトットに語った。
「あたしはラプターナの街に引っ越す前も、この精霊魔法を使って、これまで、いろんな土地を冒険してきたの。それで今回もつい――だけど、ちょっと急だったわね。ごめんね、トット」
 実際、急な出来事だった。二人は図書館で借りた本をそのまま手にしたままだったくらいだったのだ。
 だけど、トットはセレタに言った。
「ううん。わたし、ラプターナの街の外に出たことがなくて、外の世界をずっと見てみたいと思っていたの。それに、本物の竜を見られたなんて感激だわ。この空色の草原はとても幻想的な場所ね。秘境なのかしら」
 それからトットはセレタにほほえみかけて続けた。
「セレタは移動の精霊魔法を使えるのね、すごいわ。わたしは本で読んだことがあるだけだったから――」
 セレタもほほえんでトットに言った。
「よかった――」
 それから明るく言うのだった。
「さあ、それじゃあ、帰りましょうか。ラプターナの街へ。あたしの持っている精霊石を使えば――」
 そこまで言って、セレタははっとして考え込むのだった。
「どうしたの? セレタ――」
「いけない。いつもの調子で移動しちゃったけれど、あたしの持っている精霊石だと、あたしの故郷に、戻ってしまうのだったわ――ラプターナの街には帰れない」
「えええ!?」
「トットの持っている精霊石で、ラプターナが由来のものは――」
「利用者鍵の紅水晶は、ラプターナから遠いヒイラタの街で産出されたものだし、ラプターナに帰れそうな精霊石は持っていないわ」
「ど、どうしよう?」
 遠方の地にいて、思いがけずラプターナの街に戻る手段を失ってしまったトットとセレタは、お互いの顔を見合わせて、困り果ててしまったのだった。